0001鉄チーズ烏 ★
2020/02/26(水) 06:42:10.82ID:uyb9BvHe9◆◆◆
米アカデミー賞で作品賞を受賞した話題の韓国映画『パラサイト』は、よくできた面白い映画である。荒唐無稽な設定で、ドキドキハラハラの展開なので飽きさせない。映画は面白くなければ成功しない。
あの映画はエンターテインメント映画として成功したのだが、内外であふれている批評のほとんどは「韓国社会の貧困と格差を描いた」という深刻なメッセージ、つまり社会性を強調している。その結果、映画はフィクション(虚構)であるにもかかわらず、まるで韓国の現実風景そのものであるかのような誤解、思い込みが広がっている。
■映画の面白さから“ズレた”批評ばかり
とくに日本では近年、反韓・嫌韓感情の高まりをふくめある種の韓国ブームなので、あの映画に対する批評も、その面白さよりもメッセージ性に関心が向いているようにみえる。たとえば2月11日付の東京新聞のなんと社説(!)にこんな評が出ていた。
「ポン・ジュノ監督が紡ぎ出した底知れぬ奥行きは、財閥による富の寡占など韓国特有の問題だけでなく、世界が抱える格差が放つ『腐臭』を残酷なまでに抽出している。(略)ポン監督も貧富という普遍的で避けて通れないテーマに向き合った。それは監督自身が、社会に向けて作品を訴え続ける映画芸術家としての責務ととらえたからではないか」
実に格調高い評だが、映画の面白さとはどこかズレを感じる。
■「韓国における貧困」の現実とは?
この映画をめぐっては、ソウルにいる筆者のところにも日本のいくつかのメディアから問い合わせがあった。そのほとんどが、映画に描かれた「韓国的な貧困と格差」を物語る風景を取材したい、というものだった。端的にいえば日本語版の副題になっている「半地下の家族」の現場を探りたいというのだ。
映画における「貧困の現場」の風景が関心の的なのだが、そうした見方に対する批判の意味を含め、まず「韓国における貧困」のことについて書いておきたい。
■あの“半地下”は「ぜいたくな貧困」を象徴している
映画は、半地下住宅に住む失業者の家族4人が、坂の上の豪邸に住む米国帰りの若手IT企業経営者の金持ち家族をだまし、その家庭に入り込む話だ。では半地下住まいの「家族詐欺団」の犯行の動機になっている貧困とは?
話題集中の半地下住居だが、あの映画での風景は必ずしも貧困を物語っていない。韓国で普通、半地下部屋といえば、独り暮らしか夫婦二人のいわば間借りのような狭い空間である。映画をよく見てほしい。あの半地下には成人男女4人が住んでいて、台所や娘・息子部屋、夫婦部屋など部屋数が多く、大きい。貧困家庭にしては生活空間が広すぎる。
あれは映画セットとして作られたものであって、現実的にはぜいたくな半地下、つまり「ぜいたくな貧困」なのだ。
現在の韓国で住居的貧困のシンボルといえば、むしろビルの屋上のバラック「オクタプバン(屋塔房)」や地上のビニールハウス、独り暮らし老人や出稼ぎ外国人の極小一人部屋、それに国家公務員試験(考試)受験のための1坪に満たないような「コシ(考試)テル」などがそうだろう。とくに「コシテル」は、若者たちがそんなところに籠りながら高級公務員という人生の開拓を目指す深刻さ、悲壮さがあって実に韓国的だ。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
2/26(水) 6:00配信 文春オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200226-00036279-bunshun-ent